田中 げんごろう
棺桶の中からのリクエスト
死んだ時にどんな音楽を聞きたいですか?

昭和・音楽文化の輝きと衰退

2023年9月12日
棺桶の中からのリクエスト・死んだ時に聞きたい音楽@

キャロルキング 「You've Got a Friend」   

 いつのまにか息荒い時代を過ぎ還暦まじか、身体の衰えを実感するようになった。
そう、この世界から去る、「棺桶の中の自分」をまじかに感じる歳になったのだ。
 「次の時代になるべく良い社会環境を残して去ること」
これを目標としていたけど、現実は「若者の力や創造・進化を金の力で抑え込み、切り捨て、まだしも「金欲と権力欲」に血道をあげる老人」たちの姿と「環境汚染」の時代だった。
 常軌を逸脱した日本の「汚染水海洋放出」は、それを止められなかった世界主要国も含め「地球」として最悪の行為だった。
放射性物質の危険性はCO2の比ではないのに、日本と世界主要国の見事までのスルーは、いかに「地球環境などどうでもよい」ことを示し、いかに「CO2排出規制」がうそっぱちの政策であるかを示した。
EV産業利権屋が「自己利益」のために「地球環境のため!」という偽善の旗を利用している、と言われてもしかたないだろう。

人間世界の森は砂漠化していく最中、その先陣を切る「日本という木」「衰退国の見本」は急速に枯れ落ちている最中だ。

 それでも、そよ風が吹き、木の葉がサラサラ揺れ、その中に香しいにおいを乗せる「自然の音楽」をリアルに聞いて、感じる ことはすばらしい。これは生きていてこそ体験できることだ。死んだ後は聞くことが出来ない。

 人はこの「音楽」を違う形で創作し奏でることができた。この世の「永遠性」を音楽の中に閉じ込めた。
私は死んだ時に暗闇の中で聞いていたい音楽がある。
もちろんたんさんあるが、
一番のリクエストは、「キャロル・キング・タペストリー」というアルバムだ。
「So Far Away」「Home Again」「You've Got a Friend」などなと、心に染みる。
「この世界、ありがとう」「すばらしい音楽、ありがとう」「生きていて すばらしかった」
と永遠の中に消えていくことができそうだ。
 金と欲にまみれ「芸術でさえ切り刻んできた、闇に身を売った鬼畜たち」には、棺桶の中からのリクエストさえ、思いつかないだろうし、
リクエストしても届くばすもない。

検索 Carole King - You've Got a Friend (Official Audio)
検索 Carole King - Home Again (Official Audio)
検索 Carole King - So Far Away (Official Audio)


音楽の輝き

 普遍性のある音楽は、長きにわたり創られ聞かれてきた。
その中で近代の音楽はジャンルを問わず「1970年代」に輝きのピークがあったと感じている。
「音楽の輝き」とはその中に閉じ込められた「永遠性」だ。
 永遠性は人類に対して「共通」する「聖水が流れ込む」ような根源の感覚と言っても良いだろう。
もちろん、その感じ取り方は個々に違うから、好みのジャンルやアーティストはそれそれだが「心に刺さる感動」を与えている。
名曲を残したビートルズ・カーペンターズは言うまでもなく、多くのアーティストが曲の中に「永遠性」を閉じ込めた。
 なぜこの時代の音楽アーティストが「永遠性」を閉じ込められたのか?というと
この時代には人間社会の中に、永遠性を司る「精霊」がいたのだと思っている。
この精霊は過酷な第二次世界大戦後、傷つき過ぎた人間の「心・意識」をいやすためにあったのだと感じている。
 だからアーティスト自身に「永遠性」の特別な素質があったのではなく、アーティストの中にその精霊が「知らぬうちに」強く介在 していた「時代性」の中にあったと感じている。
 日本でも輝いたアーティストは多い、坂本九・新井由実・吉田拓郎・原田真二・中島みゆき・ゴダイゴ・サザンオールスタース・今忌野清郎・プラスティックス・etc たくさんいた。
 今、これを超える心を刺すアーティストがどれだけいるのか?一度、ヒットすれば、右も左も同じ曲調の「塗り直し音楽」の氾濫だ。音楽の衰退、枯れゆく時代だ。


音楽の衰退@

 いつの時代でもアーティストの「個々の努力」が土台にあったことはいうまでもない。
「音楽の輝き」の時代に活躍したアーティストたちは、戦後、人類社会の「癒し期」と「成長期」に偶然に合致していたに過ぎない。だから「音楽の衰退」と言っても「アーティスト」の質の衰退ではなくて、音楽を創り配信する「機会の狭さ」と「精霊を去らせた」人類に大きな衰退の原因がある。
 戦後、日本の経済は荒野の状態だった。経済界の利権も少なく、個々の努力が社会に反映されやすい時代だった。だから小さな会社が雨後の竹の子のように立ち上がり、各業界は切磋琢磨しながら成長していった。
 音楽業界やアーティストもその中にあったから、そのバラエテイーさと個性が花開く機会が多かった。
しかし、1980年代から、物が人々にいきわたり、豊かな時代となると、人々は「いい気」になって「バブル・飽食の時代」を迎えた。 また、経済界も弱肉強食の淘汰のあげく、利権構造が出来上がり、力の強い企業の「おごり」とそこからの強い「矯正作用」が働いた。
 音楽業界でも「売上げ重視」の矯正作用が働き、著名アーティストの担ぎ上げ、大ホールコンサート商売が主流になり、新しい世代の音楽への育成と発掘を軽視した。経済効果優先の音楽界は、バラエティさを失い、利権番犬として飼いならされた「マウント業界人」たちが「精霊」を宿す環境をなくしていった。
 配信側のマスコミも含めた、業界全体の暗部は「ジャニーズ問題」を見れば説明はいらないだろう。


音楽の衰退A 音楽は「音楽」ではなく「エンタメ商品」に

 もちろん「音楽」は経済社会において「商品」としてもあるのはあたりまえだ。
「音楽」にはその内面にある芸術性、精神性、作者の主体性が重要なものだ。しかし、近年これをあまりにも軽視している。
 現在のアイドル音楽と言われるものは、「エンタメ商品」であって、彼女ら、彼らの歌う音楽はアイドルを着飾るための化粧でしかない。
 それは、ビジュアルグループの走り「QUEEN」や日本のRCサクセションと比べればよくわかるだろう。
クイーンやRCサクセションにはまず、「音楽」があり、ビジュアルはその「音楽」を装飾するもだ。
 しかし、日本のアイドルグループは見てのとおり、アイドル自身を「音楽」で装飾しているに過ぎない。 
ようするに「音楽」は「主役」から「脇役」にシフトしている、ということだろう。
 アニメに付随する音楽、ゲームに付随する音楽。すべて脇役だ。すべて注文された商品ではないか。
ミュージシャンが心の底から「作りたい・歌いたい音楽、心の底から湧き出で来る音楽」はどこへいったのか。
私が「音楽の衰退」という理由の一つがここにある。


戦争の時代にこそ聞きたい、歌いたい音楽
スティーブン・コリンズ・フォスター 「Hard Times Come Again No More」

 コロナ災禍から、ウクライナ戦争まで、世界はたいへんまずい状況にある。
今、歌うべき、聞くべき歌がある。
アメリカの作曲家、スティーブン・コリンズ・フォスターが1854年に発表した「Hard Times Come Again No More」だ。
まずは動画サイトなどで検索、探して聞いてほしい。

検索 Hard Time  De Dannan

この曲は、南北戦争後、まだ心の中の、消えない戦争の苦しみを歌ったものだ。
「いやな時代はもうたくさんだ!」
また私たち人類は「同じ轍を踏む」のだろうか。
欧米では、この歌をはたくさんのミュージシャンが歌い続けている。
そこが欧米の音楽界と日本の音楽界の差だろう。
 坂本九の名曲「上を向いて歩こう」を日本のミュージシャンが、ソロで、またはセッションでも、本気に歌い続けているだろうか?

 「Hard Time」で私が一番好きなものはDe Dannanのバックで、7人のミュージシャンがセッションするものだ。
私が知るだけでも「モーラ・オ・コンネル」「ドロリス・ケーン」「エレノア・シャリー」「トミー・フレミング」 がいる。(ほか3人の名前が知りたい)
歌い始めの「モーラ・オ・コンネル」の歌唱力は秀悦。


歌詞の意味を理解できない洋楽を楽しむ日本人
モーラ・オ・コンネル 「Trouble In The Fields」

 小学5年生の誕生会にむけて、同級生に「何が欲しい」と聞かれて答えたのが、クイーン「キラークイーン」のレコードだった。
昭和の時代は小学生でも洋楽は日常あたりまえにあった。今では考えられない光景だろう。
 蛇足だが、現在、子供たちを取り囲む環境は「衰退する社会に応じて萎縮、内向化」していて、「退化」している。
「野山を歩いたことがない・笹舟を作ったことがない・立ションできない」小学生があたりまえの異常事態にあり、世間に流れてくる音楽もそうだろう。

 昭和の小学生にとって、いやいや、昭和の日本人にとって、音楽はメロディー・リズム・音色がメインで歌詞の内容は三の次くらいのものだった。歌声に載る歌詞は「楽器・音色」の一つとして捉えていたからだ。
 アーティストの歌声の「質」は楽器そのもので、ボブディランを筆頭に「音質や歌い方がアーティストの個性」となり、そこに音楽のすばらしさの一面がある。

 大人になり、歌詞の翻訳を見てびっくりしたのが、ポールサイモンだった。あの美しいメロディーラインとリズムの中にたくさんの「ネガティブな歌詞」が乗せられていた。
 私がナチュラリストの立場で、あるコミュFMに出演した時がある。
その時に私が選定して流した曲が「モーラ・オ・コンネル Trouble In The Fields」だった。
英語が堪能な優秀な担当者だろうか、「Trouble In The Fields」の選定に対して「シカが猛威をふるっているからね」と一言。
私は、あっけにとられてポカン! 「単に、いい曲だからだよ」と心の中でつぶやいた。

検索 Maura O'Connell with Nanci Griffith - Trouble In The Fields


棺桶の中からのリクエストA
荒井由実 「ひこうき雲」「瞳を閉じて」

 棺桶の中からのリクエストしたい次の曲は、
荒井由実「ひこうき雲」「瞳を閉じて」。
でも、この曲は素晴らしすぎてこの世に「未練」が残りそう。
注意が必要だ。(笑)

 荒井由実の音楽スタイルはキャロルキングと似ていて、ピアノ伴奏でソロ、コード進行もどことなしに似ていると感じている。
だけど「荒井由実」は「荒井由実」の世界を確立している。
 日本人の抒情的繊細さが見事にメロディーに反映され、さらにそれが「日本語歌詞」に載せられているのは「神業」としか言いようがない。

 人生経験が乏しい学生時代に作った曲が「名作」となる時代だった。
というか、精霊は「若者の心」にだけ宿るのだろか?
まさしく「天才」。荒井由実は、精霊が介在したアーティストの一人だ。
 長崎の離島にある学校の「校歌」としてつくられたという、「瞳を閉じて」はイントロで涙腺が崩壊するほどのヤバイものだ。

 検索 新日本紀行「歌が生まれてそして」
 検索 荒井由実 ひこうき雲


ロードムービーならぬ、ロードミュージック@
サイモン&ガーファンクル 「America」

 私は旅好きなので、ロードミュージックが大好きだ。
自然や人とふれあい、その景色を見ながら旅をする。時間の先にある新しい世界に、自分を、希望を、神秘を探す旅。
そんな情景が見事に歌われ、メロディーとなっている音楽だ。
 サイモン&ガーファンクルの「America」は抒情的で旅するその姿が浮かんでくる秀作だ。
これこそ「歌詞」の内容を知れば、まるで一幕の映画。二倍感動する名曲。 「look for America」アメリカを探しに・・
今のアメリカは傲慢で自分勝手やり放題でダメになったけど・・・。

検索 Simon & Garfunkel - America

 この曲をスゥエーデンの First Aid Kit が カバーしてるのだけれど、これが秀悦! すでに、S&Gを抜いているんだ。

検索 First Aid Kit - America (Live at Polar Music Prize)


ロードムービーならぬ、ロードミュージックA

ザ・トラヴェリング・ウィルベリーズ 「End Of The Line」

 次なる秀作は The Traveling Wilburys 「End Of The Line」だ。
「ジョージ・ハリスン カッキーっ!」
「ボブ・ディラン カッキーっ!」
こんなにカッコいい音楽はないよ! リズム、メロディー、セッションが見事に融合。
「シビれるぅ!」
というほどの曲だ。
プロモーションビデオを見てもわかる通り、列車の中での演奏風景だ。
列車の走るリズムに乗って明るく破天荒な男たちのカッコイイ旅風景が曲になって表現されている。
 私がこの曲を動画サイトで知ったのが最近。いかに自分が音楽情報弱者だったことを思い知らされた。

 ザ・トラヴェリング・ウィルベリーズは1988年に「ジョージ・ハリスンが結成した覆面バンド」。それもメンバーは 「ボブ・ディラン、ロイ・オービソン、ジェフ・リン、トム・ペティ」と大御所!、日本ではありえないでしょ。
いかに欧米の音楽界が懐の広いものであるかを物語っているよね。
まあ、とりあえず 動画探して見てくださいな! 俺なんか、車の中で流しながら「End of the lin♪」だけ一緒に合いの手入れて、一緒に歌っているよ。

検索 The Traveling Wilburys - End Of The Line (Official Video)


ロードムービーならぬ、ロードミュージックB

モーラ・オ・コンネル 「Western Highway」

 「Western Highway」はモーラ・オ・コンネルの名作アルバム「Western Highway」の中に収録されている。
このCDは希少で、今ではなかなか手に入らない。
全編秀作ばかり。このアルバムはプロデューサーであり、ギターを担当しているベラ・フレックの才気に満ちたものだ。
スチールギターの名手、Jerry Douglas 、コーラスにNanci Griffithなどなど、そうそうたるメンバーが参加している。

「Western Highway」はとても難しい曲。それを見事に作り上げた。
イントロの初めは左からスチールギター1本で始まる。次第にもう一本のスチールギターが右から加わり。透明感のある空気が厚みを持つところに、歌声が始まり、曲の段落ごとにベース→ウッドホイッスネル、コーラスが徐々加わり曲の「情景」を厚くしていく。
 個人的には、Jerry Douglasの才能が調和して感動 !
アルバムの基調になっていると感じた。

   この名曲「Western Highway」は、夕ぐれ時の風景を見ながら聞くととても合う。
 ラジオを聞いていていつも思うのだが、意味もなく、時間潰しのために「音楽を流す番組」が多い。
「音楽流していりやぁ免罪符」は、悲しいけど何もかも衰退する、安っぽいご時世を反映しているよね。
ほんと、つまらない。

 音楽には、その時間、その場所にあった音楽があると思うよ。ラジオのプロというのは、それを上手く演出できる人と思う。
ラジオは車の中で聞くことが多いでしょ。仕事終わりの帰り道、夕日の中を走っている時に「こんな曲」を流せば、リスナーの心が洗われる。そんな見えない気遣いが、社会を豊かにしていくと思う。
言われたことしか「しない・やらない・させない」現代社会。

ここはすばらしい「感情の世界」なんだせ!
季節ごとに夕方の時間帯が変わるから、それも含めて番組編成ををする。
朝は朝に合ったすがすがしい音楽、昼は昼に合ったリズム感たっぷりの明るい音楽、夜は夜に合った音楽、雨の日は・・と、季節や気候、時間帯に音楽を呼応させるのがプロだと思うよ。

検索 Maura O'Connell Western Highway  


ロードムービーならぬ、ロードミュージックC
松任谷由実 「中央フリーウェイ」

 この曲は言うに語らずの「名曲」。
歌詞からして、まさに、夕暮れ時から街が暗闇に沈んていく時の情景を曲にしたもの。
実際に中央道を夕暮れ時に、新宿方面から八王子方面に走ったことがある人は、この曲のすばらしさがわかるよね。

検索 松任谷由実 中央フリーウェイ   


棺桶の中からのリクエストB ほんとうのロック
忌野 清志郎 (RCサクセション) 「トランジスタラジオ」

 ロック風グループやミュージシャンは数多くあり、いるけれど、本物は少ない。
ロックっていうのは、哲学的で頭の良い人でなければ「続かない」ジャンルと思う。
雰囲気だけのミュージシャンには持続が難しい。

 音楽カテゴリーは幅の広いものだから、「本物」なんて決めつけられないけれど、コアがしっかりしていて継続性があるもを「本物」と言いたい。
ロックのコアは「反発・反抗」だと思う。
その反抗は、単にだだっ子のような、自分の目の前の欲が聞き入れられない反抗ではなくて、人間に備わっている「新天地への開拓、進化」に対し、妨ぎ、穢し、汚す「権力、社会規則、ありきたりな毎日」、そして、それに対してなにもしない「神」に対するものだろう。
その肝はサッカー選手に求められている「言語化」と同じなんだろうと思う。「なんとなくできた」ではだめで、言語化がてきていてこそなのだろう。

 その中で忌野 清志郎の歌声は「本物」と思う。
そのコアから派生した音楽はとても素晴らしい。
 忌野 清志郎は「ラジオ」が好きだった。
大空を伝わってくるラジオの電波に思いを馳せ、大地に響くラジオの声や歌にロマンを感じ、それを歌にした。
「トランジスタラジオ」 「Oh! Radio」 「Oh My Love ラジオから愛のうた」 数々の名曲を残した。
「Oh My Love ラジオから愛のうた」は歌手は坂本冬美、作詞は忌野 清志郎、作曲は細野晴臣。
日本の「盆踊りのリズム」の中にロックのコアが融合するこの曲を、ダサイと思うか、スゴイと思うか、感性のリトマス紙になるだろう。

検索
坂本冬美 HISライブ Oh My Love ラジオから愛のうた 2006
忌野 清志郎 Oh! Radio
RCサクセション トランジスタラジオ


年老いても新たな輝きを放つ、「ゴールデン・ミュージシャン」
ジョン・バエズ

 音楽情弱オヤジが感動した動画。メアリーブラックとセッションした Ring Them Bells。
私の音楽の旅はここから始まった。
 白髪に変わったジョン・バエズが、この歳になっても、しゃがれた声でギターを弾きながら本気に歌う。
これこそ、本物の「ミュージシャンの姿」と感動した。
しゃがれた声も新たに輝く、人生において見習うべき存在。日本の「BONSAI」芸術と似ている。
私は年老いても新たな輝きを放つミュージシャンを「ゴールデン・ミュージシャン」と呼んでいる。

 ジョンバエズの2017年、75歳の誕生記念コンサートはDVDにもなっている。
いろいろなアーティスト(大御所)を呼んでセッションする形式だけど、オレはインディゴ・ガールズ、メアリー・チェイピン・カーペンターとセッションした、ザ・バンドのカバー曲「The Night They Drove Old Dixie Down」が一番好きだ!
この曲は南北戦争当時の様子を想像して書かれた「反戦曲」のようだ。

 75歳を過ぎた老人。自分の身の周りと比べれば、「どんだけカッコイイ!」と思う。
未だに「オールナイトニッポン」だとか、若いキャピキャピ世代に迎合する「ユーミン」は残念ながら「ゴールデンミュージシャン」にはなれないと思うし、これが、日本と欧米音楽界の「魂の差」なのだろうと思う。

検索 Mary Black and Joan Baez - Ring Them Bells
検索 2017 Rock Hall Inductee Joan Baez & Guests Perform "The Night They Drove Old Dixie Down"
検索 Joan Baez sings "Don't Think Twice" by Bob Dylan live in concert 2017 HD


とっても元気になる!曲@
メアリー・チェイピン・カーペンター  Down At The Twist And Shout

 メアリー・チェイピン・カーペンターはナッシュビル・カントリーミュージシャンの一人。
Down At The Twist And Shoutはバック・トゥ・ザ・フューチャーの「ドク」みたいな人がフィドルを陽気に弾き鳴らし、リズムにはじけ飛ぶ歌声は本当に元気にさせてくれる。
70年代の音楽は、アコースティックとエレキが調和している心地よい。

検索、Down At The Twist And Shout。

メアリー・チェイピン・カーペンターはゴールデンシンガーの一人。
ジョンバエズとセッションしている姿はすばらしい。

検索 Joan Baez & Mary Chapin Carpenter sing "Catch the Wind" Live in concert HD

カントリーはアイリッシュミュージックの系譜。
こんなにすばらしい曲もある。

検索 Transatlantic Sessions 6 - Mary Chapin Carpenter - with Aoife O'Donovan


世界音楽遺産、ジャパンテクノポップ@
プラスチックス Top Secret Man

 テクノポップは、西洋発と言われるが、ジャパンテクノポップは別次元。まさに「国産・オリジナル」の音楽ジャンルだったと思う。 戦後、「欧米まねっこ産業と文化」で豊になった日本において、この音楽文化を残せなかったことはとても悔やまれる。

 プラスチックスの代表曲「Top Secret Man」は、当時リアル世代で聞いていたけれど、それはやはり何やらわからぬ「衝撃」そのもので・・。冷静に考えてみれば、クソタレウザイ日本社会の空気を突き破るような「衝撃」だったと思う。
 今、当時のジャパンテクノを聞き直してみると、これは「世界音楽遺産」級のジャンルで欧米の音楽シーンにひけをとならいものだったと感じた。

 プラスチックスは世界的にも認められ、イギリスのレコード会社との契約など、そのセンスはワールドクラスであったことを証明している。 現在、動画でも外国人からの書き込みがとても多いのはその現れだ。

 日本にこの文化を抱擁する社会があったなら、おそらく産業界も違っていただろう。マイクロソフトに負けない企業も生まれていたのでは?と思う。要するに、金を握る経済界に「既存を突き破る」気概もセンスもなく、ただ、利権の温存だけに血道をあげていたからだろう。日本の岐路はテクノポップにあったかもしれない。

検索 PLASTICS / TOP SECRET MAN (1979)


世界音楽遺産、ジャパンテクノポップA
ヒカシュー プヨプヨ

 「ぷよぷよ」はねっとりとした男性臭さが漂う曲で、おそらく、ふつうの女性には「受け入れがたい」であろう。
 ボーカルの巻上公一の歌詞力には脱帽だ。語尾につける独特の擬音は、どうすればこのような発想となり実現したのか「天才」。

 ふつうの女性には「受け入れがたい」曲は「やめて」ではなく、 そんな曲を作れることの「芸術性の高さ」であり、すごい曲だ。

  検索 ヒカシュー/プヨプヨ


世界音楽遺産、ジャパンテクノポップB
ゲルニカ 戸川純

 戸川純は、クソタレウザイ日本社会の空気を「ぶっちぎる」すごさがあった。
超ド級の歌唱力と共に、「目があっちの世界にいったまま帰ってこないような」半端なさだった。
これをうる若き美人が本気で行っていたのだから、今の稚拙なアイドルグループとは格が違う。

 ゲルニカは細野晴臣がプロデュースし、細野晴臣と高橋幸宏が主宰するYEN RECORDSからリリースされたバンド。
このことからも、細野晴臣と高橋幸宏は、遊び心もパイオニア心も本気の、「偉人」だった。
 文化は「偉人」により先導されることが多い。偉人は「文学者」に見てとおり、財力と才能を持ち合せ、それを「夢や希望」を実現させるために、おしみなく投入した人物だ。

文化が衰退する現代、それは「単なる金持ち」だけがはびこっているからだ。
「夢も才能も遊び心」も持ち合せない「単なる金持ち」だけがはびこっているからだ。

検索 ゲルニカ 「蘇州夜曲・復興の唄」  →細野晴臣と高橋幸宏がMC出演している動画
検索 ゲルニカ  夢の山嶽地帯


リズム&ポップ ミュージック@
エルトン・ジョン・Don't Go Breaking My Hear

 エルトン・ジョンと言えば名曲「Your Song」のイメージか強いけれど。
検索 Elton John - Your Song (Top Of The Pops 1971)

Kiki Deeとデュエットした Don't Go Breaking My Hearも秀悦だ。
エルトン・ジョンの音楽性の幅は天才と思う。

PVでは「軽いチープな若者」に扮装し、Kiki Deeとデュエットするのだが、その裏、曲はとても緻密に出来ていて、リズム&ポップの名曲になっている。
特にサビの転調はすばらしい。

検索 Elton John, Kiki Dee -Don't Go Breaking My Hear (with Kiki Dee) 


リズム&ポップ ミュージックA
ドゥービー・ブラザーズ Listen To The Music

 ドゥービー・ブラザーズの名曲「 Listen To The Music」。
同じ旋律の繰り返し中になぜ、こんなに「心地よさがあるのか?」
これこそ、リズム&ポップの中に流れる転調の流れの奇跡だ。
ギターのプリングオフ音(?)がこれくらい効果的に使われているのは脱帽だ。

検索 Doobie Brothers - Listen To The Music・TopPop